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札幌地方裁判所 昭和51年(わ)341号 判決 1976年8月02日

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

未決勾留日数中七〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、有限会社武和水産札幌営業所に勤務し、経理事務を担当していたものであるが、下関魚市場株式会社が、北海道銀行八戸支店の武輪水産株式会社の普通預金口座へ振り込むべき商品代金二二八万九、九四六円につき、誤って同銀行中央市場支店の武輪水産株式会社を受取人として、山口銀行漁港支店に対して振込依頼をしたため、これがテレタイプにより片仮名で通知され、北海道銀行中央市場支店において武和水産代表小野一男名義の普通預金口座へ入金の取扱いがなされていたところ、当時武和水産札幌営業所に対してそのような高額の振込がなされる可能性は全くなかったので、右入金はなんらかの誤りであることを認識したが、この際これに乗じて、右入金額に相当する金員を騙取しようと企て、昭和五一年二月九日、札幌市中央区北一二条西二三丁目二番地株式会社北海道銀行中央市場支店において、同支店普通預金係岩間幸子らに対し、右入金額については払戻しを請求する権利がないのに正当な権利に基づく払い戻しの請求であるように装い、正当に受領し得る預金残高を超えた二二九万四、三三九円について武和水産代表小野一男名義の普通預金払戻請求書を作成したうえ同女らに提出して普通預金の払戻し方を申し入れ、同女らをして被告人が請求にかかる金員全額につき普通預金払戻請求権を有しこれに基づいて預金払戻しを請求するものと誤信させ、よってそのころ、同所において、同支店出納係宇津宮直子から普通預金払戻し名下に、正当に受領する権利を有する現金四、三八三円とともに現金二二八万九、九四六円の交付を受けて、これを騙取したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(累犯前科)

検察事務官作成の前科調書によれば、被告人は、昭和四八年三月一二日東京地方裁判所において道路交通法違反により懲役四月(未決勾留日数九〇日算入)に処せられ、同年四月一二日右刑の執行を受け終ったことが認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二四六条一項に該当するところ、前記前科があるので同法五六条一項、五七条により再犯の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち七〇日を右の刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張について)

弁護人は、被告人の本件所為は詐欺罪にあたらず無罪であると主張するので、判断する。

本件訴因は、本件預金について被告人に払戻請求権がないのにそのことを秘して払戻しを受けた点をもって詐欺罪に該当するとしているのであるが、もしこの払戻請求権がないこと、すなわち預金債権が有効に成立していないことが認められるならば、詐欺罪が成立することは明らかであろう。本件の場合、北海道銀行中央市場支店においては、被告人に預金払戻請求権があるものと考えて払戻しに応じたのであり、もし、本件預金債権が成立していないかまたはこれになんらかの瑕疵があれば、そのことを銀行が知る限り、払戻しに応じることはなかったと考えられるからである。

逆に、本件預金がなんら瑕疵なく成立しているならば、所論のとおり払戻しの手続に欠けるところのない本件においては、銀行としては払戻しに応ずるほかなく、その払戻しについて詐欺罪が成立する余地はないものといわなければならない。

なお、預金についてはその占有が問題とされ、預金債権者が預金について占有を持つか否かによって犯罪の成否が決せられる場合があるが、本件の場合はそのことを問題にする必要はないものと思われる。本件において問擬されているのは、預金の払戻しとして、現金を交付させたという点であり、この現金の授受のみを問題にすれば足りるからである。また、弁護人は、本件においては銀行になんらの損害も生じないと主張しているが、後述のように本件払戻しについて銀行がなんらの責任も負う余地がないと断定することには疑問があるばかりでなく、一項詐欺については現金の交付だけで構成要件を充足するとするのが、現在の確定した考え方である。

そこで、本件の事案に則して、預金の成立に瑕疵があるかどうか検討してみよう。

本件において、振込人たる下関魚市場株式会社の意図するところと異る振込がなされた原因を考えてみると、第一次的には、北海道銀行八戸支店の武輪水産株式会社を受取人として振込依頼をなすべきところ、誤って同銀行中央市場支店の同会社を受取人とした、下関魚市場株式会社の錯誤に起因するものであることは疑いない。

ところで、本件のようないわゆる当座口振込(又は単に振込)は、原因関係と切り離された無因行為と解されている。たしかに、ある債務の決済のために振込を行なったが、その債務の成立に無効原因があったような場合、振込とそれによる受取人の預金口座における預金の成立にはなんらの瑕疵もないであろう。しかし、本件は、これと異なり、振込依頼契約そのものに付着する瑕疵であり、しかも被仕向銀行(ひいては受取人の特定)を誤るという法律行為の要素に関する錯誤であるから、振込依頼契約の無効を来たし、預金債権もこの瑕疵を引き継ぐのではないかとの疑問がある。ちなみに、典型的な無因行為とされる手形行為においても、手形行為自体の錯誤は物的抗弁とされる。

しかし、右の点をさておいても、本件においては次のような事情がある。すなわち、本件の事実関係を正確にみてみると、本件の振込依頼は、あくまで「武輪水産株式会社」を受取人としてなされているのであって、これと、現実に入金記張された「武和水産代表小野一男」名義の普通預金口座とを比較すれば、「輪」と「和」で一字を異にするほか(最近の振込においてはテレタイプが利用され、振込通知が片仮名で送られるのが通例であることは公知の事実であり、本件もこれによるものと認められるが、このことによって仕向銀行ないし被仕向銀行の、振込依頼の趣旨を正確に履行すべき義務が軽減されるものとは考えられない。)、一方は純然たる会社名義であるのに対し、他方は個人名義と見るべきものか、少なくとも個人名が付加された口座という重要な差異がある。

もちろん、被仕向銀行に振込通知で指定された受取人と類似の名義をもつ口座がひとつしかない場合は、それが複数存在する場合と異り、名義上多少の相違があっても、振込の迅速性の要請も考慮すると、口座の同一性を認定してよい場合があろう。しかし、本件のように振込人が被仕向銀行を誤ることも皆無とはいえず、また振込人が被仕向銀行に存在すると信じた口座が実際には存在せず、これと類似の名義をもつ口座が存在することもありうるのであるから、受取人と当該口座との同一性について疑いを差しはさむべき重要な差異がある場合には、被仕向銀行としては、軽々にその同一性を認定すべきではない。本件のように口座番号が特定されていない場合には、受取人名と口座名義との同一性のみが振込の正確性を担保する手がかりであり、またテレタイプによる片仮名のみの通知ではその同一性を誤ることも多いからである。銀行業務の確実性、安全性についての社会的信頼、またいったん事故が起った場合の影響の重大性を考え、また、第一次的には振込人の過失が重大で、銀行の責任は限定されうることを考慮すると、以上のように解したとしても、銀行に対して決して過重な義務を課するものとも、振込制度の円滑を害するものともいえないであろう。

そうしてみると、本件は、振込人において、右口座に振込みをなす意思を有していなかったのはもちろん客観的にも、本件振込は、そのままでは直ちに右口座に対するものとみることはできない。中央市場支店としては、入金を留保し、受取人と右口座との同一性を確認する手段をとるべきであったと考えられる。結局、本件においては、振込依頼の趣旨にそった振込入金はなされておらず、同支店は、入金すべきでない口座に入金の取扱いをしたものといわなければならない。

このような場合、当該口座に対して真実振込みがあったわけではないから、振込の法律的性質についていかなる見解をとるかにかかわらず、右入金について預金が成立することはなく、当該口座の預金者が、右金額について、払戻請求権を取得することもないのである。銀行は、自由に入金記帳を取消すことができることも、一般的に認められているところである。

従って、たまたま入金の取扱いがなされているのに乗じ、それが誤りであることを認識しながら、正当な払戻請求であるように装ってその入金額の払戻しを請求する行為は、銀行に対する欺罔行為と評価することができる。けだし、銀行としては、入金記帳が誤りであることを知れば、払戻しに応じることはないからである。

所論は、振込入金が誤りなくなされたことを前提として、正規の払戻手続をとった被告人の所為は詐欺罪にあたらないとするもので失当といわざるをえない。

(裁判官 金築誠志)

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